長野地方裁判所松本支部 平成2年(ワ)264号 判決 1995年11月21日
主文
一 被告は、原告に対し、金八四八六万三四六一円及び内金八〇三七万八四六一円に対する平成元年三月一九日以降、内金四四八万五〇〇〇円に対する平成二年一二月一三日以降各支払済みに至るまで各年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告の、その一を原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告は、金四〇〇〇万円に相当する担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
理由
第一 請求原因(当事者)については、当事者間に争いがない。
なお、《証拠略》によれば、藤松講師らの登山歴、本件研修会の性格等については、以下の事実を認めることができる(一部争いのない事実を含む。)。
一 藤松講師は、長野県上田市立塩田中学校教諭であるが、海外遠征を含む二〇年以上の登山歴を有し、積雪期登山の経験も豊富で雪崩等に関する知識も備えていた。同講師は、昭和六三年から平成元年にかけて、山岳総合センター専門主事として、登山等に関する研修会の企画・運営、実際の研修現場の下見・選定及び講師の選任等、研修の立案に関する中心的な役割を担っていた。
宮本講師は、長野県中野実業高等学校の教諭であるが、海外遠征を含む二〇年以上の登山歴を有し、本件当時長野県山岳協会の理事長の地位にあり、日本山岳協会二種指導員の資格を有し、研修会の講師もたびたび務める等長野県有数の登山家であった。また、同講師は、高校生の登山を専門分野とし、積雪期登山の経験も豊富で、雪上技術や雪崩に関する見識を備えていたもので、本件研修会の主任講師を務めた。
右以外の松田講師、重田講師、古幡講師も、積雪期を含む登山歴が豊富で、長野県山岳協会の地区指導員等の資格を有していた。
二 長野県内の各高校山岳部は、独自に山岳地域における雪上技術の学習が十分にできないため、高校側から統一的専門的な指導を実施することについて強い要望があり、山岳総合センターはこれを受けて研修会を昭和六二年以降実施していた。右研修会は、県内の高校山岳部の技術水準の向上を図るため、これを開催する社会的必要性が高かった。
第二 請求原因(雪崩による遭難事故の発生)の事実については当事者間に争いがない。
なお、本件研修会の開催前後から本件雪崩発生に至るまでの経緯等については、《証拠略》によれば以下の事実が認められる(一部争いのない事実を含む。)。
一 藤松講師は、本件研修会開催前の三月一五日、本件テント場付近まで赴いて、スキーで歩いて回りながら、周囲の雪の状況、積雪量や地形等を調査したり、地蔵の頭の通常雪庇ができやすい部分(別紙図面1記載<6>)を確認するなどしたが、右部分に雪庇も認められない等その時期としては積雪量が例年よりかなり少ないとの印象をもった。しかし、当時は視界が約一〇メートル程度しかなかったため、それ以上の詳細な観察、調査はせずに帰路につき、その後三月一八日まで本件斜面付近に下見等に来ることはなかった。なお、藤松講師は、右一五日の午後一〇時、翌日の天候等を判断するためにNHKのラジオを聞きながら天気図を作成した。
二 研修会初日の三月一七日、藤松講師は、翌一八日の天候を判断するために午前九時に前記同様にラジオを聞いて当日午前六時現在の天気図を作成したり、気象協会長野支部に電話で問い合わせる等した。
そして、同日午後一時〇七分に山岳総合センター内で開講式が開催された後、引き続き午後一時三〇分から宮本講師による「高校山岳部の目標」と題する講義が、午後三時一五分から藤松講師による「冬山登山の基礎知識」と題する講義がそれぞれ行われ、積雪期登山に関する初歩的な知識、天気図の書き方等に関する授業がなされたが、雪崩に関する基本的知識や危険回避等に関する詳細な指導等はなされなかった。さらに、同日午後五時一〇分ころ、翌日の研修に向けて、装備の貸出し、点検がなされ、その後、夕食、消灯となった。なお、同日午後六時三〇分から午後七時にかけて、翌一八日以降の実技指導に関する講師打合せがなされた。その結果、連絡指示系統については藤松講師が最終指示を出し、日程、コースの状況判断等については講師全体が随時協議、連絡して判断し、受講生の安全を考えること、実技指導については主任である宮本講師が統一した指導を行うこととされた。そして、宮本講師から実技指導の内容が紹介された後、当日の天候により実技の内容が変わるので状況判断しながら指導すること、雪の状況については一七日は天候が悪く雪が降っている状態だったので、一八日の朝、現場を見て判断すること等が話し合われた。講師らは、右打合せ後、懇親会等を開き、その後就寝した。
三 参加者及び講師は、三月一八日、五竜とおみスキー場に到着したが、藤松講師らは、午前八時半過ぎ、同スキー場下部のテレキャビン駅に集まって打合せをし、手で雪を握る等して全体の積雪の状況を調べたり、上部への移動方法としてスキー場内の急斜面(チャンピオンコース)を登高できるか否かの検討等をした。その際、新雪は約一〇センチメートル程度で少なく、若干湿った雪であることが判明した。そして、講師及び参加者は、チャンピオンコースを登ったが、藤松講師は周囲の雪の状況を見たところ、前記一五日の下見の時と同様に積雪量は少なく、デブリもなく、雪はアイゼンに付くほど湿っていた。また、午前一一時過ぎ、チャンピオンコース上部にあるテレキャビンのアルプス平駅に到着し、藤松講師らは、同駅周辺でも新雪の上を歩いたり、手で握ったりして積雪の状況を調べたところ締まった雪であった。
四 さらに、参加者及び講師らは、アルプス第一リフト沿いの積雪斜面を登った後、その上方の本件テント場に到着した。そして、松田講師は例年雪庇ができる箇所(別紙図面1記載<6>)をその上に乗る等して調査したが、雪庇は例年より小さく不安定な積雪状況でもなかった。藤松講師は、右付近で雪洞掘りができるかどうかを確認するためにスコップで雪を掘る等したが、直ぐに笹が出てくる等積雪量が少なく雪洞訓練は無理と判断し、さらに本件テント場の周りを歩いて雪の状況を調べたが、前日以降に降った新雪が約三〇センチメートル積もっており、一五日の下見の時より積雪が増えたように感じた。
本件テント場では、参加者らが新雪を踏み固めてブロックに切り出しテントの防風用に積み上げ、テントを張る訓練をしたが、ブロックはしっかりとしたものができた。宮本講師は、本件テント場付近(別紙図面1記載<1><3><4><5>付近)を実際に歩いたり、足で踏み込む等して積雪状況を調べた後、藤松講師及び松田講師とその後の実習内容について協議し、前記のとおり雪洞掘りが困難なため、ワカンジキでの歩行訓練を行うことになった(なお、右打合せの際には、どの講師からも雪崩発生の危険の有無に関する話はでなかった。)。
そして、宮本講師は、ワカンジキ訓練のため本件テント場から本件斜面に向かう途中の箇所(別紙図面1記載<2>)でも同訓練が可能なだけの積雪量があるか調査した。同講師は、本件斜面に入って実際に右訓練を開始する際にも、まず自分が先に雪面を歩行して新雪の状況を確認したが、しまった雪でクラスト(積雪の表層が日射、気温、風等の影響により固くなる現象)は認められなかった。宮本講師を先頭に、酒井教諭ら一班の参加者六名は、ワカンジキを着用し横一列になって本件斜面を登高しはじめた。そして、右参加者らが約一〇メートル進んだところ、本件斜面の約五〇メートル上方で幅約一〇メートルの雪崩が発生した。宮本講師及び参加者である関、赤羽、福島、酒井の各教諭は、本件雪崩によって雪中に埋まり、そのうち宮本、関、赤羽、福島教諭は掘り出されて救出されたが、酒井教諭は、雪崩発生から約一時間後に本件斜面下方で発見されたが、蘇生することなく死亡した。
なお、藤松講師らは、本件雪崩発生以前に、本件斜面上部に赴いて、斜度、積雪量、雪の状態等を調査したことはなく、結局、本件雪崩が発生した本件斜面上部が当時どのような状況にあったかについては、本件全証拠によるも明らかではない。
第三 請求原因(被告の責任原因)について
一 請求原因(被告の責任)一の事実のうち、高等学校生徒の冬山登山を原則として禁止する等の趣旨の文部省体育局長の通達があることについては争いがない。そして、《証拠略》によれば、前記文部省通達は冬山登山においては気象条件が厳しく遭難事故が多発しやすいことに鑑み、高校生の登山を禁ずる趣旨であることが認められる。したがって、右通達は、本件研修会のように、初心者のために雪上歩行訓練等により基礎的な雪上技術を習得させることを目的とする研修等をも禁止する趣旨とは認められない。
よって、藤松講師、宮本講師らには、右通達にいう高等学校生徒の冬山登山を避けるべき義務を怠った過失があるとはいえない。
二 請求原因(被告の責任)二
1 被告の注意義務について
積雪期における山の斜面では雪崩の発生等種々の危険が伴い、遭難事故も後を断たないことは公知の事実であり、前記一の文部省通達も同様の認識を前提にして高校生等の積雪期における部活動等における安全確保を強調する趣旨と解することができる。また、前記争いのない事実によれば、本件研修会は、冬の野外生活を経験し、冬山の生活知識、雪上技術等についての基礎実技の習得をはかることを目的としており、参加者である高校生や引率教諭は、冬期の野外生活については初歩的段階にあり、雪上技術や雪崩回避の知識も不十分な初心者であった。そして、酒井教諭らは、純然たる私事としてではなく、高校登山部の活動という学校行事の一貫として生徒を引率して本件研修会に参加したものである。一方、本件研修会の責任者である藤松、宮本講師らは、前記認定のように冬山登山に関する十分な知識や経験を有していたものである。したがって、酒井教諭ら参加者は、一般の冬山登山と異なり、万一の場合には雪崩等による生命身体に対する危険をも覚悟して本件研修会に参加したものではなく、また、雪崩等の危険性の判断については全面的に担当講師らにその判断を委ねていたものであり、担当講師らによって本件研修会が安全に実施されるものと期待していたものということができる。したがって、担当講師らは、このような参加者の安全を確保することが要求されていたというべきである。
そして、文部省が発行している雪崩関連の文献は、雪崩の予知が困難であることを前提としながらも、雪崩回避のための注意事項を類型化して詳細に挙げていること、山岳総合センターの所報は、雪崩の危険については最終的には経験等に頼らざるをえないとした上で、危険の目安等について具体的に列挙して説明していること、雪崩の専門的研究を行っている日本雪氷学会においても、研究者により前記文部省作成の文献と同旨の報告がなされていること、一部の山岳団体では雪崩を回避するための具体的な諸要素、判断方法を挙げた上でその習得を目的とする研修会も実施されていることが認められ、右各事実、《証拠略》によれば、被告主張のように雪崩発生のメカニズムが完全に解明されているとはいえず、最終的には経験等により雪崩の危険性が判断される場合も多いが、雪崩の発生原因は相当程度明らかにされていると共に、専門的な研究書に止まらず一般登山者向けの雑誌、研修会等を通じても雪崩回避のためにその発生の危険性を示す種々の客観的な条件や判断方法が指摘されているのであるから、山岳界の指導者的立場にある本件講師らとしては、右条件を事前に十分調査、検討することにより雪崩を回避することが、完全とはいえないまでも相当程度可能であることが認められる。
そして、通常の冬山登山においては、広範囲にわたる地域を長時間にわたって登高することから雪崩発生の危険性に関する調査も自ずから困難を伴うが、《証拠略》によれば本件研修会における雪上歩行訓練は、当初から本件現場付近で行われることが予定されていたことが認められるから、本件研修会において要求される雪崩の危険性についての調査は、本件現場付近に限定して行えば足りるものであり、同調査の困難の度合いは、通常の冬山登山の場合に比してかなり限局されるということができる。そうすると、藤松、宮本講師らに対して、雪崩の危険性に関して事前に調査検討を尽くすことを要求することが困難であるとは言い得ない。
以上を総合すれば、本件研修会の責任者である藤松講師、宮本講師らは、雪上歩行訓練を行う場合、事前に訓練実施場所の地形、積雪状況や現場付近の天候等について十分な調査を行って、雪上歩行訓練を実施した場合の雪崩発生の可能性について十分な検討協議を尽くした上、雪崩が発生する危険性を的確に判断して、雪崩による遭難事故を回避すべき注意義務を負っていたというべきである。
2 雪崩が発生しやすい一般的条件
<1> 請求原因(被告の責任)二2<1>の事実は当事者間に争いがない。
<2> 同<2>のうち、〔4〕については、当事者間に争いがない。
〔1〕 《証拠略》によれば、当該斜面の地形が、山の谷筋、沢筋や凹型を示す場合は、雪崩がより発生しやすいことが認められる。
〔2〕 《証拠略》によれば、斜度が概ね三〇度から五〇度の積雪斜面については、雪崩発生の危険を考慮すべきことが認められる。なお、被告は、斜度と雪崩の発生との相関関係を明らかにする資料はない旨主張するが、前掲各証拠を総合すれば、斜度が雪崩発生の危険性を判断するための一要素と言い得ることは明らかである。
〔3〕 《証拠略》によれば、広い意味では樹木の有無や密度は雪崩発生の危険を判断するための要素といえること、全層雪崩の場合は地表部分がさらわれることから、樹木が少ないか笹、茅、草が生えたり平坦なガレ場等の植生を示す場合には、過去に何回も全層雪崩が発生した可能性があることが認められる。したがって、本件雪崩が属する表層雪崩については、樹木の有無、密度が雪崩発生の危険性を判断する一要素になるとはいえるが、それ以外の具体的な植生の状況については、本件のような表層雪崩との間に明確な相関関係があるとは言い難い。
なお、原告は樹木の根曲がり現象と雪崩発生との関係を主張するが、《証拠略》によれば、積雪があれば大量でなくても根曲がり現象が見られること、積雪がない場所でも根曲がりが生ずる場合のあることが認められる。この点、甲三七は、雪崩の発生により根曲がりが生ずる場合を示すが、根曲がりのある斜面に雪崩発生の危険が認められるとの趣旨か否かは明らかではない。したがって、根曲がりの有無が直ちに雪崩発生の危険性を判断するための要素になるとは言い難い。
<3> 請求原因(被告の責任)二2<3>について
〔1〕 請求原因(被告の責任)二2<3>〔1〕について
原告は、雪崩発生の危険性のある気象条件として、(1)晴れて、日照により雪が融解したり、積雪内部に蓄熱が生じ、これにより不安定な積雪状態になる場合、(2)夜間の放射冷却によって積雪が不安定化する場合、(3)降雨による水分の補給によって濡れざらめ雪がさらに結合力が弱く崩れやすいざらめ雪になる場合に、積雪内部に弱層が生じ、雪崩が発生する危険性がある旨主張し、同主張を裏付ける見解のあることが認められる。
しかしながら、文部省が発行し、登山関係の権威ある文献とされるテキスト「高みへのステップ」は、日射、高気温、雨は、雪崩の大きな原因となるが、その後、積雪は安定化に向かうとの見解を示している。
以上によれば、日照、気温、雨量等の気象条件の具体的な変化が積雪の安定化と不安定化のいずれに作用し、それが雪崩発生の危険性とどのような関連性を有するかについて、理論的、一義的には決しがたいと言うべきである。
したがって、気温、天候等の気象条件から雪崩発生の危険性を的確に判断できるとは言い難く、原告の主張は採用できない。
〔2〕 請求原因(被告の責任)二2<3>〔2〕のうち、長野県における雪崩注意報の発令条件の内容については争いがない。
そして、《証拠略》によれば、長野地方気象台では、右発令条件に達していなくても、万一雪崩が起こった場合の責任問題を危惧して、独自の判断で注意報を出すのが通例であり、同注意報はシーズン中ほとんど連日出されていることが認められる。したがって、形式的に右注意報の発令があったことを捉えて雪崩の危険があるとは言うことはできない。
しかしながら、後記〔3〕のとおり、右発令条件の内容である風の強さ及び降雪量は雪崩発生と関連性があること、また、《証拠略》によれば、雪崩注意報の有無が入山前に確認すべき事項の一つとされていることが認められる。そして、一定の条件を設定して雪崩の危険を登山者に知らせるという注意報の趣旨に照らせば、当該斜面の気象条件が前記注意報発令の条件に実質的に該当している場合には、雪崩発生の危険性を窺わせる一要素になると言い得る。
〔3〕 以上の他、雪崩発生の危険性に関する条件については、《証拠略》によれば以下の事実が認められる(争いのない事実を一部含む。)。
まず、表層雪崩の原因は、積雪内部に雪の結合が不安定な弱層が存在し、その上に新雪が積もることにあるので、積雪内に弱層が存在したり、積もった新雪が厚い場合には雪崩が発生する危険性が高くなるが、一般に新雪の厚さが三〇センチメートル以下ならそれほど雪崩発生の危険がないとされる。雪庇は、小さな刺激でも崩れやすく、斜面上部に雪庇があるとその崩壊によって雪崩が発生する場合がある。右各条件も雪崩発生の危険性を判断するための要素になると言い得る。
<4> 請求原因(被告の責任)二2<4>について
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。まず、日本の山での行動中に起きた雪崩遭難事故の半ば以上は、人為的な誘発に原因があり、かような人為的条件としては斜面をトラバース(横切る)すること、転倒、ラッセル等斜面に刺激を与えること、同一斜面に一度に多人数が進入することや荷重があることが挙げられる。そして、下方斜面での人為的な刺激が積雪内部の見えない亀裂に影響を与えて、かなり離れた上部斜面において雪崩を引き起こすことがあり、現場がなだらかな斜面でも上部の地形を考慮にいれないと雪崩に襲われることがある。
3 請求原因(被告の責任)二3(本件における雪崩発生の危険性)について
〔1〕 請求原因(被告の責任)二3<1>(本件現場の地形等の自然条件)
<1> 本件現場の凹凸等の形状
《証拠略》によれば、本件現場は、山の谷筋で中央が凹型にへこみ、上部の本件雪崩発生地点から約三五メートル下まではしゃもじに類似した形をしており、中間部は樹木に挟まれて若干狭くなるが、その下部にいくにしたがって徐々に広くなるという地形を示していることが認められる。
なお、被告は一部は凹型であるが全体としては異なる旨主張するが、本件事故報告書及び本件現場付近を撮影した写真からは、有雪期の雪面には顕著な凹凸は認められないが、本件現場の実測図によれば、等高線の形状からして、本件雪崩発生地点から下方の地面は、他に比して窪んだ凹型の形状を示していることが認められ、同認定を覆すに足りる証拠はない。
〔2〕 本件現場の斜度
ア 本件現場等の斜度については、本件雪崩が発生した当時(有雪期)における正確な測量結果を示す証拠は存しない。
イ ところで、《証拠略》によれば、測量士が、本件斜面の斜度を無雪期に測量したところ、別紙図面3記載のとおり、第一班が登高を始めた地点では約三〇度程度、それより上部の本件雪崩遭遇地点付近では約四二度、上部の本件雪崩発生地点付近では約四九度、その上部は約二四度の斜度であることが認められる。
ウ また、本件現場の有雪期の斜度については、原告側から提出された平成三年三月一六日時点での調査報告には、本件登高開始地点付近では三二度、本件雪崩遭遇地点付近では四〇度、さらに上部の本件雪崩発生地点にかけて全体的に四〇度の傾斜である旨を示す記載がある。他方、被告側から提出された平成三年四月三〇日時点での調査報告には、本件登高開始地点から約一〇メートルは三四度、そこから一〇メートル上方は三〇度、さらに三二メートル上方の本件雪崩発生地点周辺までは三五度の傾斜を示す記載があるが、具体的な測定方法は不明である。
右によると、有雪期である本件当時の斜度は明確には断定しがたいが、前記各調査結果、《証拠略》を総合すれば本件雪崩発生当時、本件登高開始地点から本件雪崩遭遇地点までは概ね三〇度から三五度程度、それより上部の本件雪崩発生地点に至る斜面では最低でも三五度、部分的には四〇度以上の斜度があったことが認められる。
〔3〕 本件現場の植生
《証拠略》によれば、本件雪崩で崩れた斜面には、雪の下になってしまう低木や草を除き樹木が存在しないことが認められ、同認定を覆すに足りる証拠はない。
〔4〕 本件現場の斜面の方向、雪の吹き溜まりのできやすさ等
《証拠略》によれば、本件現場は、小遠見山の支尾根に当たり、若干北東寄りとはいえるが概ね東向きの斜面であることが認められる。しかしながら、本件現場付近の五竜遠見岳に約二〇回登った経験を有する柳沢証人は、本件現場付近は、本件当時、通常西風が吹く場所ではなく、北風が吹きつける箇所であるから、東向き斜面であっても吹き溜まりができやすい状況にはなかった旨証言する。そして、《証拠略》によれば、本件雪崩前九日間の本件現場付近の風向については、三月一七日午後以外は西風は吹かず、むしろ北風の吹くことが多かったことが認められる。
以上によると、本件現場付近は、西風が吹きやすい箇所ではなく、むしろ北風が吹きやすい箇所であるというべきである。したがって、本件現場は、斜面の方向からみて、風が吹きつけることにより雪の吹き溜まりができやすい地形であったとは言い難い。
<2> 本件現場の天候等の自然的条件について
〔1〕 本件当時の風について
《証拠略》によれば、本件斜面付近の五竜とおみスキー場では、三月一七日は午前中に風速毎秒約二メートルの北風が、午後に毎秒五ないし一〇メートルの西風が、一八日には午前中に毎秒五メートル、午後に毎秒三メートルの北風が吹いており、本件雪崩発生当時、稜線では風が強かったことが認められる。
〔2〕 本件当時の積雪量、降雨量について
本件雪崩のあった当日は、雪崩注意報が本件山域一帯に出されていたことについては争いがない。そして、《証拠略》によれば、本件斜面より下方にある五竜とおみスキー場では、本件当時の積雪量は約一六五センチメートルで、本件斜面付近では、約三〇センチメートル、吹き溜まり部分では約五〇センチメートルの厚さの新雪があったことが認められる。したがって、本件当時、本件斜面付近では、前記長野県の雪崩注意報発令の条件を充たしていたことが認められる。
<3> 本件斜面周辺の過去の雪崩発生状況について
《証拠略》によれば、一般論としては、登山等に先立って現場周辺の過去の雪崩発生状況等を事前調査することが雪崩回避のため有用といえること、本件斜面より下方に位置する五竜とおみスキー場等で何回か雪崩が発生していることが認められるが、他方で、同証拠によれば、右各雪崩は、本件現場からいずれも数百メートル以上も離れた場所で起こっていることが認められる。そして、本件全証拠によるも、右各雪崩が、地形や気候等の発生条件において、本件雪崩と類似点があるとまでは認められない。
したがって、原告主張の場所で過去に雪崩が発生していたからといってそれが本件斜面での雪崩の危険性判断の要素になるとは言い難い。
<4> 本件雪崩発生の人為的条件について
酒井教諭の属していた一班が、本件当時、幅約一〇メートルの斜面に、宮本講師を先頭にその下約五メートルを六名の参加者がワカンジキを装着してほぼ横一列に並んで斜面を登っていた事実、及び、参加者らが、雪を下へ蹴落としたりピッケルでかき落とすなどしつつ登高した事実については、当事者間に争いがない。
そして、《証拠略》によれば、本件では、狭い斜面に一度に多人数の者が立ち入ることにより斜面に荷重をかけ、接地面積の広いワカンジキで積雪を踏みつけ、また、参加者がワカンジキ歩行に慣れていなかったため雪の中でもがくようなぎこちない登高をしたため、雪面に強い刺激を与えたことが認められる。
なお、被告は、宮本講師が横一列に並ばせたのは、参加者が新雪をラッセルしないと雪上歩行訓練の目的が達成できないからであり、ワカンジキによる歩行訓練を行う場合は、横一列に並ぶ方法が一般的で、特に危険な方法とされていない旨主張する。そして、《証拠略》によれば、被告主張の右方法がワカンジキ歩行訓練としては通常の方法であることが認められるが、他の地形、積雪量等の条件により雪崩発生の危険性が否定しがたい場合、前記訓練方法は、雪面に強い刺激を与えて雪崩を誘引する危険性を有するのであるから、これを行うべきでないことはいうまでもない。
<5> 以上によると、本件斜面上方である本件雪崩発生地点付近の斜度は、本件雪崩発生当時、最低でも約三五度、部分的には四〇度程度であり、無雪期には、本件雪崩遭遇地点付近では約四二度、本件雪崩発生地点付近では約四九度であること、本件斜面は、樹木のない積雪斜面が尾根の近くから下方に向かって幅約一〇メートル長さ約三五ないし五〇メートルにわたり続いていたこと、本件斜面はその上部を含め全体として、山の谷筋・沢筋にあり、中央が凹型を呈していること、本件斜面付近では本件当時新雪の厚さが約三〇ないし五〇センチメートルであったこと、本件当日は、雪崩注意報が本件山域一帯に出されており積雪量や降雪量が実質的には雪崩注意報発令の条件を充たしていたことが認められる。
右認定の各事実及び前記二2で認定した雪崩発生の一般的条件を総合すれば、本件当時、前記二3<4>のように初心者が多人数で一度に狭い積雪斜面に入りワカンジキによる登高訓練を行った場合、雪面への刺激によって本件斜面上部に表層雪崩が発生する危険性があったというべきである。
4 請求原因(被告の責任)二4について
<1> 藤松講師らの本件雪崩事故に関する注意義務違反の内容について
藤松講師らには、前記第三の二1で認定したように、雪崩回避のための注意義務が課せられており、また、豊富な登山歴、指導歴を有し、積雪期登山に関する知識や経験を十分に備えていたのであるから、雪崩発生の危険性の判断要素として、前記第三の二2で認定したような諸条件があることは当然知り又は知りうる立場にあったものであり、また、本件雪上歩行訓練は、前記のとおり本件斜面付近という限定された場所で行うことが予定されていたのであるから、研修実施場所としての適否を判断するために、本件研修会開催以前に現地調査をしたり、あるいは地形図を検討する等して、本件斜面付近について、その斜度、その凹凸や谷筋地形の有無等を正確に把握するとともに、樹木の疎密、当時の新雪の積雪量等につき調査し、右調査結果に基づいて、ワカンジキ歩行訓練によって雪崩発生の危険がないか否かについて十分検討協議を尽くして、雪崩遭難を回避すべき注意義務を負っていたものであり、しかるに、これを怠り、十分な調査を尽くさず、その結果雪崩発生の危険性についての判断を誤り、本件斜面で前記雪上歩行訓練を行ったものであり、この点に過失があったものである。そして、右過失により、酒井教諭他四名の一班の参加者は本件雪崩に巻き込まれ、発見が遅れた酒井教諭が死亡するに至ったものである。
<2> なお、原告は、宮本講師らはいわゆる弱層テストを実施すべきであったと主張するのでこの点について検討するに、《証拠略》によれば以下のとおり認められる。
表層雪崩は、積雪内部の弱層と呼ばれる雪の結合度の弱い部分が崩れることにより発生する雪崩であり、表面の雪質だけをみても立体的な積雪の弱さは分からないとされているところ、弱層テストは、別紙図面4のとおりの方法で、雪面に両手で円を描いて掘り円柱を作り、これを両手で抱えて手前に引っ張るという方法によって、積雪内部の弱層の有無及びその強弱を調査判断して、雪崩発生の危険性の有無を判断するテストであり、所要時間は約一、二分とされる。
弱層テストは、昭和五一年に北海道大学農学部の雪崩研究者である新田隆三(現日本雪氷学会理事、同学会雪崩分科会会長)により雪崩の危険判断のために有意義な方法として提唱されたものであり、本件雪崩発生以前の段階で、昭和五三年の文部省登山研修所発行の山岳救助研修テキストや一般登山愛好家向け雑誌である「岳人」や「山と渓谷」等にも、弱層テストの内容等につき同様の紹介がなされている。そして、前記文部省登山研修所では、昭和五〇年から五三年にかけて、雪崩防止対策の訓練として弱層テストの講習を行っている。以上から、弱層テストは、山岳界では、雪崩発生の危険を判断するための一つの方法として一般に知られているということができる。
しかしながら、他方で、《証拠略》によれば、弱層テストにより適切な判断をするためには、相当な経験を積むことを要し、また、弱層テスト自身は数値的な裏付けもなく、これのみで雪崩発生の危険を判断することは困難かつ危険であり、むしろ積雪内部の状況に対する認識を深めるための訓練として用いられるべきとする専門家の見解が有力であることが認められる。
以上によれば、弱層テストについては、雪崩回避のため積雪内部の弱層の有無や程度を判断するための、一つの有効な方法であるとはいえるものの、これにより雪崩の危険性を的確に判断しうるとは認めがたい。したがって、宮本講師らには、本件雪上歩行訓練に際して、弱層テストをなすべき義務があったとはいえない。
<3> 被告の主張について
なお、被告は、本件において雪崩発生の危険性を判断するために種々の調査検討を尽くし、訓練場所の選定等にも誤りはなく、本件雪崩による遭難は不可抗力によるものであると主張するので検討するに、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる(一部争いのない事実を含む。)。
山岳総合センターでは、本件と同趣旨の研修会を過去二回実施し本件テント場及び本件斜面で登高訓練等を行ったが雪崩事故は発生しなかった。また、本件斜面周辺は、過去多くの山岳団体や長野県内の高校山岳部により基本訓練を行う場所として一般的に認められてきた場所でもあった。
また、山岳総合センターは、本件研修会の主任講師として、その登山歴、指導歴等に鑑み、宮本講師が適任であるとしてこれを選任したものである。
そして、藤松講師は、地元の人々から周辺の雪崩の状況を日頃から聞いて知っており、また、無雪期に、調査目的ではないが本件現場付近の遠見尾根を多数回歩行しており、本件斜面付近を度々訪れていた。さらに、藤松講師は、三月一五日の下見において本件テント場周辺をスキーでまわって積雪状況を調査したり、前記のように二回にわたり天気図を作成したり気象協会へ問い合わせをしており、さらに山岳総合センターの所在する大町市で毎日観天望気する等、気象条件に関する事前調査を行っていた。
また、宮本講師、藤松講師らは、三月一八日の当日、五竜とおみスキー場入口のテレキャビン駅、同駅から上部に向けてチャンピオンコースを登はんしている最中、アルプス平駅周辺、同駅を出発して本件テント場に到着する間も、足元の積雪状況や周囲の斜面等に気を配っており、松田講師は、本件テント場に到着後、例年雪庇ができやすい箇所の状況を確認し雪質、積雪量等を観察し、藤松講師は、本件テント場付近で雪洞掘りが可能かどうかスコップで掘って積雪の安定性の判断をし、さらに、本件テント場において、テントの防風ブロックを積み上げるために周囲の新雪の踏み固めとブロック切り出し作業を行ない、その過程で雪質や積雪層の判断をしたものであり、宮本講師は、右の間、本件テント場付近を歩き、足を踏み込んで積雪層の調査をし、さらに、本件斜面において、ワカンジキによる歩行訓練を開始する前に、本件斜面で雪の量、質、積雪の安定度等を調査し、開始後もまず自分で雪面を歩行して安定した積雪状態であることを確認した上で、自ら一班の先頭に立ち周囲の状況を確認しながら歩行訓練をした。
右認定のように、山岳総合センターによる、本件研修会の講師の選任は、適切に行われており、また、前年等にも研修会が本件テント場付近で行われた等の事情も存し、また、宮本講師、藤松講師らは、本件研修会の責任者として、本件研修地付近における積雪状況について相応の注意を払っていたことが認められる(また、本件研修会が、県内の高校山岳部の技術水準の向上を図るため、これを開催する社会的必要性が高かったことは前記認定のとおりである。)。
しかしながら、宮本講師、藤松講師らは、前記<1>の本件斜面の斜度(特にその上方の本件当時及び無雪期の斜度)、凹凸や谷筋地形の有無、積雪量等を判断するための十分な調査を行ったとは言い難く、したがって、本件雪崩事故が不可抗力である旨の被告の主張は採用できない。
三 藤松講師、宮本講師らがいずれも被告の職員であること、原告は酒井教諭の実母であり同教諭を相続したことは争いがない。
第四 請求原因(損害)について
一 慰謝料 金二〇〇〇万円
前記認定の本件雪崩事故に至る経緯、事故内容、酒井教諭の年齢、境遇その他諸般の事情を総合すれば、その精神的苦痛に対する慰謝料としては金二〇〇〇万円をもって相当と認める。
二 逸失利益
金七三六四万六六八一円
被告の過失が認められた場合の酒井教諭の逸失利益に相当する損害額が金七三六四万六六八一円であることは当事者間に争いがない。
三 葬儀費用 金一〇〇万円
葬儀費用については、前記認定の諸般の事情を総合すれば、金一〇〇万円をもって相当と認める。
四 損害の填補
金一四二六万八二二〇円
原告は、地方公務員災害補償基金から公務災害補償金として金一三八五万六八〇〇円の、被告から葬儀費用として金四一万一四二〇円の支払いをそれぞれ受けたことについては当事者間に争いがない。
五 弁護士費用 金四四八万五〇〇〇円
本件事案の内容に鑑みれば、原告が自らの損害賠償請求権を実現するためには、弁護士に委任せざるをえないと考えられるところ、本件訴訟の内容、本件審理の経過、認容額等諸般の事情を総合すると、弁護士費用としては、原告主張の金四四八万五〇〇〇円を下らない。
第五(結論)
以上の事実によれば、被告は、八四八六万三四六一円及び内金八〇三七万八四六一円に対する本件不法行為日の翌日である平成元年三月一九日以降、内金四四八万五〇〇〇円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成二年一二月一三日以降各支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
したがって、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行宣言については同法一九六条一項、仮執行免脱宣言については同法一九六条三項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松丸伸一郎 裁判官 小池喜彦 裁判官 青沼 潔)